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『Ibasyo存在の証明』 岡原功祐 写真家のモラル
 この本を買ってから数ヶ月が経つ。そして、今日まで、この本はわたしの居場所であった。

 私はごく若い頃、自傷行為の経験がある。

 今月初旬に、母親がコンビニで倒れ、救急搬送された。危なかった。私は、毎日病院に行き、オレンジを搾ったり、茹で卵を持って行ったりしていた。

 母親は私の自傷行為で深く心が傷つき、わたしが独立して家を出るまで、心身ともに支えてくれた存在であった。
 就寝前に、何回も、『Ibasyo』を読み続けた。
 母親は、奇跡的に回復し、月末に退院できることになった。

 『Ibasyo』は、取材とは、そして人を写真に撮ることはどういう行為なのかを、目の覚める想いで教えてくれた。
 同書から引用しよう。
「実際に取材を始めるまでには時間がかかった。最後まで取材をすることができるのか。途中で難しくなり、投げ出すことにならないか。傷を負った人たちに「あなたたちのことを知りたい」と言いに行くのだ。」

 著者は、出版を諦めかけ、読んでくれた人たちが書き込みできるようにして、取材をした6人分の手製本を作る。その本たちは、世界中を廻り、様々な書き込みとともに還る。

 著者は、取材をするうちに、彼女たちと「友達のような存在」になっていく。
 本書で問われているのは、「誰かの役に立ちたい」と手をあげた彼女たちに対する、写真家のモラルである。そして、本書に無駄な言葉はひとつもない。

 わたしが、以前論じた、かの藤原新也氏も、『Ibasyo』の前では、木の葉のように弾き飛ばされる。藤原氏の写真家としての生命は、おそらく『南冥』あたりで終わっており、『東京漂流』の印税で、ローストビーフを食べることが自慢の自閉的写真家に過ぎない。
岡原氏が、もし『全西洋街道』を書いたなら、キャンピングカーではなく、おそらくグレイハウンドバスでアメリカを巡ったことであろう。

 個別名を表明することは差し控えさせていただくが、今回、母の入院に際し、救急車を呼んでいただいたコンビニの従業員の方々、最初に診ていただいた非常勤の医師の方、看護師の方たち、そして継続して診ていただいた病棟の方たちに心からお礼を申し上げます。
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