the book-review columns

書評コーナー
「死の島」を読む

今年最後のブログは、何にしようか迷ったが、やはり、10月にわたしがKindle本として出版した評論、「死の島を読む」についてと、原作である「死の島」について少し書こうと思う。

わたしが、福永武彦の「死の島」を初めて読んだのは高校生の時だった。「草の花」を暗記するほど読んだ後に触れた福永の小説が「死の島」だった。
大学に入り、福永は教授であったが、1、2年の一般過程が終わり、3年になったら、福永の授業に出たいと思っていた。しかし、わたしが3年になった時には、福永は既に病床にあり、講義を受けるという夢はついに叶わなかった。

「死の島」は、雷撃のようにわたしを魅了した。日本文学の小説を読んで、こんなに引きずり込まれる体験は初めてだった。漱石でもここまで震撼させたことはなかった。

大学を卒業して、金融機関に就職し、原稿を書く時間は無かった。就寝前に30分好きな本を読むことがせいぜいの生活は、長く続いた。

独立して保険代理店を立ち上げ、ようやく原稿を書く時間が少し取れるようになった。
「死の島」を貪り読んだことは言うまでもない。そして、わたしがどのように読んだか、読者に伝えたくなった。
その結果が、Kindle本の「死の島を読む—女主人公のアイデンティティー演繹の試み」である。なぜなら、「死の島」は、女主人公である、萌木素子の謎を書いた作品だからである。

洋画家である素子は、被爆者である。白血球が少なく、色白の素子は、被曝という爪痕で存在のコアの部分を規定されてしまっているが、自分に好意を寄せている相馬鼎と出会うことによって、閉ざされた心を開こうとする。素子と同居している相見綾子、この3人を中心に物語は展開してゆく。詳しくは、原作に逝かれたい。

わたしが、一番書きたかったのは、萌木素子とは誰なのかという設問である。わたしの読みは、萌木素子の背後にある、福永の潜在思想を辿ることだった。福永が幼い頃死別した母、そして神、福永自身すなわち分身などなどである。潜在思想はフロイトの領分なので、フロイトに礎を与え、フロイトの優れた読み手であるデリダのレクチュールに主に依拠しつつ、論を展開したつもりである。
アマゾンKindleで、99円なので、福永の原作とともに、読んでいただければ、これ以上の歓びはありません。

付記:年が明ける頃には、作曲家の上松明代さんが、「死の島 萌木素子のテーマ---若さのもつ悲劇的な美」というタイトルのテーマ曲を、ネットにアップしていただける予定になっていますので、そちらも愉しみにしていてください。
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Dec.2018
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