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書評コーナー
アデンアラビアと印度放浪

奥武蔵の紅葉-2017 Taken by Pentax-LX


先日、書棚を整理していたら、昔読んだ、ポールニザンの「アデンアラビア」が出てきた。

懐かしかったので、読んだ。

しかし、これも再読だが、藤原新也の処女作、「印度放浪」を読む合間にアデンを読んだ訳である。

結果、「アデンアラビア」は貧弱であった。

何故昔、あんなに夢中になったのだろう。単純にこれらの読書の対比から言うと、それは、自分がインドに行く前で、「印度放浪」も読んでいなかったからだと思う。

アラビアとインドと場所は異なれ、主体は、旅人である。つまり、ポール ニザンと藤原新也の違いであり、それも存在の身丈の違いであろう。

私は、24歳の時に、インドひとり旅の経験がある。
印度放浪の中の村でも、自分も行った村があった。
インドに行ったのは、1981年で、ヒッピーエイジも終わろうとしている頃であったが、現在のインドは、1981年当時とは様変わりし、藤原の本の世界も、私が経験した世界も、夢の中のような存在になっている。しかし、それらは確かに実在していた。

自分は、アデンには行ったことはないが、書中から察するに、シンガポールのような所らしい。シンガポールの白人たちは、ネイティブ謂うところの、They are British more than British.というかつての英国の栄光時代そのままを地で行っている。以前、ラッフルズホテルに滞在していた時、私はもちろん、Tシャツにジーンズであったが、暑いのにもかかわらず、正装したイギリスの男女たちが、テーブルを囲んでいた。
アデンの白人世界は、They are French more than French.というところだろうか。

「アデンアラビア」は、その白人社会のブルジョワ批判に殆ど本全体を費やしている。その批判の熾烈さが青春という切り口で、もてはやされたのであろうか。

しかし、批判は、大手新聞各紙に掲載されているご意見番のコラムニストの批判を熾烈にしただけで、1970年〜80年のインドの生活の豊穣さの前では、哀れなものである。もちろん、ここで謂う豊穣さは、資本主義国の金銭的豊穣さのことではなく、インドという経済的貧しさにありながら、拝金主義とは正反対の豊かさ、人生へのオプティミズムの謂である。

インドへの旅については、私は藤原氏に自慢できるささやかなことがある。
まず、プシュカールという村で、安宿に泊まった話が「印度放浪」に出てくるが、私もその安宿に泊まり、藤原氏の部屋よりはるかに安い部屋だったことと、アジメールという街で、コジキから、チュラム(ガンジャの吸引具)を騙し取ったことであろうか。

私も、路傍の、板切れを渡しただけのチャイ屋で、1杯10円のチャイを飲んでいた。その時の私は、財布の中身は寒かったが、幸せであった。プルジョワの批判など、当然頭になんかなかった。

最後に、「印度放浪」の中で、インドの聖者について、藤原の書くところを引用しよう。
••••おそらく、最初ぼくたちの目の前にあって、彼らは、ただのコジキであり、やがて理解しがたいコジキとなり、しまいにはなんとなく魅力的なコジキとなるだろう••••
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