木は動けない 鳥は空を飛べるが 木にできるのは耐えることだけ きょう 木洩れ日のなかで その一本の木について考えた --------郷原宏 「木洩れ日のなかで」『カナンまで』より
 猛暑をくぐり抜けて咲いた地植えの薔薇
殺人的な暑さの今年の夏も、毎日庭の樹に水をあげていた。 翌日水をあげるとき、元気なその姿を見るとほっとした。
『武漢日記』、たいへんな評判である。わたしもそのキャッチコピーに騙されて買ったひとりである。
「私は花を育てるのが苦手で、私が育てた花の運命は悲惨だ。途中で枯れるか、あるいはそもそも咲いてくれない」同書104ページ
花々は命あるものである。粗末にするだけでなく、言葉によって、方方はその花々を二度殺している。
このような人間に、そもそもたとえ相手が中国共産党であれ、文章で批判する資格はない。引用箇所の少し前で、方方はこう言う。「今日も快晴だ。至るところに生命力を感じる」
これはもはや、立派な偽善者の証明であろう。 このような人間が、印税を寄付すると宣言しても説得力はない。 印税は、直接、武漢のために尽力した人々に入るのではなく、いったん方方の懐に入るはずで、それを王様気取りで、恵むつもりなのだろうか?
いずれにしても、最悪の本をつかまされた。 称賛する人がいるとしたら、よほどの節穴の眼の持ち主でしょうか。
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