the book-review columns

書評コーナー
武漢日記 方方 巧みな偽善者
木は動けない
鳥は空を飛べるが
木にできるのは耐えることだけ
きょう
木洩れ日のなかで
その一本の木について考えた
--------郷原宏 「木洩れ日のなかで」『カナンまで』より



猛暑をくぐり抜けて咲いた地植えの薔薇


殺人的な暑さの今年の夏も、毎日庭の樹に水をあげていた。
翌日水をあげるとき、元気なその姿を見るとほっとした。

『武漢日記』、たいへんな評判である。わたしもそのキャッチコピーに騙されて買ったひとりである。

「私は花を育てるのが苦手で、私が育てた花の運命は悲惨だ。途中で枯れるか、あるいはそもそも咲いてくれない」同書104ページ

花々は命あるものである。粗末にするだけでなく、言葉によって、方方はその花々を二度殺している。

このような人間に、そもそもたとえ相手が中国共産党であれ、文章で批判する資格はない。引用箇所の少し前で、方方はこう言う。「今日も快晴だ。至るところに生命力を感じる」

これはもはや、立派な偽善者の証明であろう。
このような人間が、印税を寄付すると宣言しても説得力はない。
印税は、直接、武漢のために尽力した人々に入るのではなく、いったん方方の懐に入るはずで、それを王様気取りで、恵むつもりなのだろうか?

いずれにしても、最悪の本をつかまされた。
称賛する人がいるとしたら、よほどの節穴の眼の持ち主でしょうか。
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『ノートルダム ドゥ キャシー』映画化の夢
昨年の大晦日にリリースした、物語(kindle版)について。

説明文は、
「現代のパルムの僧院を描く、イギリス人女性と日本人男性との生涯を賭けた恋。
 戻れない時間を背景に、ふたりをめぐる様々な群像、激情と悔恨……」
まさにその通りなのだが、最初から起算すると約1年をかけて書いたこの物語の動機づけとして、三人の俳優がつねに念頭にあった。

舞台は、イギリス南部の街ヘイスティングスと、インド、ラジャスタン州のプシュカールであり、このふたつの実在する街は、作者の滞在経験からリファインしたものである。

主要登場人物は三人、イギリス人の、KathyとMarie、日本人のKousukeである。

執筆途上、イメージしていたのは、

Kathy=若かりし頃のミランダカー


Marie=デイジーリドリー


Kousuke=斎藤 工


である。

物語は映像化を踏まえて書きました。この三人を念頭に読んでいただければ幸いですし、焦点が合う方もいらっしゃると思います。
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2020年ゴールデンウイーク 箱庭完成!


今年のゴールデンウイークは、自粛で、目ぼしい所へは全く出かけない異例のゴールデンウイークとなった。

わたしは、仕事上に重い物を抱えていたので、今回は精神的に辛かった。
小説は就寝前に読んでいるので、昼間読めとなってもできない。
書庫の整理をしていると、数年前に近くのおもちゃ屋さんが閉店した際に買った箱庭のキットが出てきた。
箱庭療法は小耳にはさんだことはあった。ネットで調べたら、ずいぶんと難しいことが書いてある。とにかくどんなものか、連休に入って始めた。

河合商会という会社の出している、風物詩シリーズの中の風鈴屋である。他にも駄菓子屋とかがあるらしい。

インストラクションを丹念に見ながら、組立を進めてゆく。
組立している時間は、視線と注意は、箱庭のミニチュア―ルの空間にしかないので、雑念を入り込ませない。
ともかく細かいので、ぶきっちょのわたしは遅々とした歩みである。

そして6日後、完成である。
魔のゴールデンウイークは乗り切った。
ちなみに、現物は写真よりショボいが、脇から見ると屋根の下が涼しげで、リビングルームの一角に座を得ている。壊れやすい、夢の世界の断片のような印象を受ける。
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ラローチャのピアノ演奏:組曲イベリア
まだ独身の頃、音大の女性から結婚祝いに頂いたのが、LP2枚組の標記のアルバムだった。

長大な曲である。金融のサラリーマンだったので、なかなか通しでは聴けなかった。

独立して仕事を立ち上げてから、自分が癒しを欲している時に真っ先に針を落とすのが、このアルバムである。

初めて聴いた時に感じたことは、音大のピアノ科の人はこういう曲を当たり前のように聴いているんだな、ということだった。ラローチャというピアニストさえ知らなかった。

アルバムのライナーノーツを見ると、ラローチャは当時、イベリアを完全に弾ける唯一のピアニストだという定評だったらしい。

このブログを書くにあたって、プレゼントしてくれた彼女にメールで聞いてみた。イベリアの楽譜は見たことないが、ピアノ曲のなかで、どういう位置づけなのかと。
答えはシンプルであった。「超絶技巧曲です」

私の頭の中にある超絶技巧とは、ブーニンの演奏のショパン、英雄ポロネーズくらいであった。
英雄ポロネーズは派手で、俺は難しい曲を弾いているんだぞ、っていう感じもろ出しである。
このラローチャのイベリアは、彼女曰く、「難曲だと思わせない技術はさすがです」。
確かに、今まで聴いているときに、難曲だとは全く感じず、曲を鑑賞できた。

スペイン、アンダルシア地方の、「暖かく、感覚的で生命の力にあふれている、陽気でいて、悲しい組曲」を聴いてみてください。ラローチャの演奏で。
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堀川正美 『太平洋』
2019.9.20に、堀川正美の『太平洋』の中の、『小湾にて』を中心とした、読解をKindle版 99円で発刊しました。

詳しくは、是非購入して読んでいただきたいと思いますが、
どのように論じたかの、さわりを書きたいと思います。

今回の読みのあいだ、わたしの傍らにあった固有名詞は、
J.デリダのマラルメ論、“ La dissemination “ の中の、” La double séance “ であった。
もちろん、マラルメと堀川正美は、フランス語と日本語ということだけでなく、詩作品のベクトルは違う上のことである。
ただ、デリダのマラルメ論がなかったら、今回の堀川正美の読みは、おそらく違ったものになっていたと思う。

“ La double séance “ へのフットノート

entre は、語源から、ヘブライ語に由来し、それは、複数形が普通であり、独立した事物の他の事物との関係ではなく、事物と事物の間の空隙を指す。
この複数形は、前置詞として用いられ、すなわち、抽象的に知覚された関係性である。

従って、hymen は、婚姻よりも、より、処女膜に近い意味作用を持つ。

hymenは、mariage や犯罪、一致、差異などと置換可能なのである。


・『死の島を読む』を買ってくださった方々へのお詫びと報告

以前kindleで刊行した、『死の島を読む』にて、アルファベットの文字が右回転していた箇所がありました。
この度、改訂し、改訂版をアマゾンから、配信していただきました。
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夏の思い出
9月になりました。

先月の横手山旅行の写真を掲載したいと思います。


F5.6 1/125
八ツ場ダム もうすぐ放水により、この景色はなくなります。


F4 1/60
国道標高最高地点


F5.6 1/125
目的地に近い見晴台より


F8 1/125
頂上へのエレベーターならぬスカイレーター乗り場


F4 1/60
頂上 スカイレーター降り場付近


F4 1/60
横手山頂上 霧


F2.8 1/60
今回は離れ(露天風呂付)に宿泊しました


F8 1/125
かの有名な姨捨の棚田

PENTAX LX FUJI Velvia50 Reversal

今回は雨天により、星空が撮れなかったのが残念です。
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99%のわれら、目を覚ませ!2019-7-21 参院選をめぐって
日ごろ、文学関係ばかり書いているので、今回は、来る2019-7-21の参議院選挙について、本業であるファイナンシャル・プランナーとしての立場から、少し書いてみたいと思う。

まず、これまでの安部政権のやってきたことは、1%のいわゆる富裕層のための政治(それが政治と言えての話だが)だということである。まず、株価で景気を判断するなどと、実態にそぐわないたわごとを言っている。現在の株式相場は、安部さん肝いりの黒田氏による官製相場で、株が下がるとお金を刷るということを連綿とやっており、株をやっている人たちのほうが、勤労者より100倍以上富む構造になっている。

毎週のごみ捨てさえ、ちょっと見れば気づくことはある。缶詰ばかり食べている家庭がある一方、一部の家庭では大トロを食べている。缶詰ばかり食べる理由も推測すると、不精とは言い切れない。夫婦とも仕事で忙しいのだ。非正規労働者が過半数の社会で、老後の資金をためるなんて絵に描いた餅であろう。

年金をマクロ経済スライドで減らすなら、消費増税する必要はない。

今の自分を取り巻く状況に、ほどほど満足している人たちも、10年後に待っているのは、いくら小金を持っていても、急激な物価上昇でザルのように無くなり、職とレジャーは外国人に取られる社会、それが自民党政治の行く末であろう。

そして、自民党には、今回の参院選で負けても、衆議院があるという狡猾な読みがあるように感じる。

ここまでは、批判。
では、たった一回の未来の一部を誰に託すか?わたしは、かつて与党の官房長官の経験もある、枝野さんに一度託してみたいと思う。いずれ衆議院も。
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引きこもりは、まずひとりにすべき
練馬区の引きこもり殺人以来、急に話題になった、引きこもりの子供を持つ親の悩み。

まず、引きこもりは、観客を必要とする劇場型という認識が大事です。
観客は1人でもいいんです。自分の勝手さを見せつける破壊的心理が、引きこもりの人間にはあります。
家を離れて、観客のいない状況にしなさい。
食事を持っていくのをやめなさい。

ひとりになると、いくらネットを観ても孤独感は強まります。
欲しい食べ物を得るには、スーパーなどに出かけなければならないんです。
壁を壊しても、虚しいだけだとそのうち分かります。

親戚の家でも何でもいい、親は仮の住まいにいて、事の動静を見なさい。ゴミのことも目をつぶりなさい。数ヶ月して、まだ引きこもっているようなら、これは無害な、治療が必要な引きこもりと言えるでしょう。

これができなければ、殺人事件しかないです。

ちなみに、練馬区の父親は全く悪くなく被害者です。裁判所が罰するとしたら、それこそ本末転倒。
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君に届け 学習院大学フランス会公演 オルフェ 終活その1

そろそろ、人生の締めくくりを迎えて、過去に直面する時が来た。

先日、中田英寿が、インタビューで、楽しい時間は苦しい時間の後にしか来ないと言っていたのを思い出す。楽しい時間、あなたはその時間を、10年後覚えていますか?と中田は言っていた。
それを聞いてしばらくして、ゴールデンウィークに入り、日帰りバスツアーで、国立ひたち海浜公園のネモフィラを見に行った。
連休で、高速は渋滞している。
長いものを聴こうと、携帯の音楽ライブラリを見ていると、自分が大学時代に演出として関わった、表題の舞台をデジタル録音したものが入れてあった。
ジュラ紀と思わずに聴き始めた。
最初は、客観的に聴くことができず、昔の回想にはまり込んでしまったが、2時間の舞台録音を帰りのバスの中で聴き終わった時は、様々な感情が明滅した。
当時主演の、S.Tは二十歳、同じく主演のヒロインを演じたM.T嬢は19歳、他の面子も同じ歳、わたしは21歳であった。
まず思ったのは、2時間を超える舞台のセリフを、それもフランス語で、よく覚えられたと、キャストのみんなに、凄いって心で呟いた。

テープで録音してくれた先輩は、フランス会公演で一番の出来栄えだったと、かつて言ってくれたが、サークルという閉じた場で、恋愛感情もチラつくなか、劇の仕上げという点では、客観的に見ても、蜷川氏の舞台くらい素晴らしかったと自負できる。

帰ってきて、原書と突き合わせてみると、キャストそれぞれが、セリフすっ飛ばしやらも含めて、台本に生命を吹き込んでいたのが分かった。みんなここまでやってくれたんだ、と若さの力をまざまざと感じとることができた。
途中、バッカスの巫女たちが出てくる。舞台の上で、金切り声をあげる。今の時代の若い子はやってくれないなって思った。

舞台装置は、動画は残っていないが、石膏像のオルフェの首など、シュルレアリスムをベースに作ってくれた。僕とS.Tは、禁止を承知で部室に泊まり込んだ。
音楽も、ルイジ ノーノの前衛音楽などがメインで、シュルレアリスム的に仕上げてもらった。
テープは、三八ツートラである。

残念だったのは、集客が不足してしまったことである。わたしと舞台監督との意思疎通が足らなかったことであろうか。
フランス語のチラシを作って、フランス人の教授に知己の人たちに来てもらうとか、アテネフランセや、日仏学院に通って集客すべきだったと思う。まぁ、意思疎通が足らなかったと言ったって、2人とも留年して1年遅れで卒業しているくらいだから、必死だったんでしょう。

僕たちは若かった。
傷つけあうために、生まれてきたようなものだった。その点は、僕は、皆に謝りたいと思う。
でも、素晴らしい舞台を成し遂げた。

中田英寿のインタビューでの言葉を使うと、あの公演は皆辛かったと思う。だから、みんな卒業後、自身の道を歩み始めても、費やしたあの1年間は、10年経っても覚えてくれていると思う。

EURYDICE
J'ai ta main dans ma main. Marche. N'aie pas peur. Laisse-toi conduire...

《舞台録音:再生》
2019 春の花々 フィルムカメラ講座
講座と偉そうに言っているのではないですよ。フィルムカメラが好きなだけですから、しばらく聞いてください。

それぞれ、撮影時刻はほぼ同じである。

まず、自宅にある原生の蘭を撮ってみた。


f8,1/60,28mmf2.8

これが、肉眼でみたときと一番近い。Cationにあるように、f8で、シャッタースピードは1/60である。単体露出計の計測どおりである。肉眼に近く撮れたのは、被写体の光量がカメラと合致しているからと思われる。


f11,1/60,28mmf2.8

翻ってこちらは、光量が少し増えたほぼ同じ時刻に撮影したが、まるで、夜間に照明のもとで撮影した写真のようである。絞りをf11まで、絞り込んだ結果と思われる。明暗のコントラストがはっきりしている。

こちらは、husky boy romeoというミニカトレアである。


f8,1/60,28mmf2.8
まずは、f8,1/60、ふつうに撮れていると思う。


f11,1//60,28mmf2.8
次は、自分で、藤原新也流と名づけた写真。まるで、薄暮の時刻で撮影したようだ。
藤原は、その「全東洋写真」のあとがきで、絞りをひと目盛り、ふた目盛り絞って多くの写真を撮影したと述べており、カメラ用語でいうところの、露出アンダーであることは認めている。これは、f11、1/60。

そして桜。


f11,1/60,28mmf2.8
これは、f11で、均衡のとれた明るさになっている。


f8,1/60,28mmf2.8
こちらは、f8、露出オーバー気味である。単体露出計どおりに撮影しても、カンで撮影してもカメラは、そう簡単に言う事を聞かないようである。あるときは、f11がよく、あるときはf8がいい。
使用カメラは、PENTAX LXです。フィルムは、Fuji リバーサル Velvia50。

次は、いま流行のネモフィラを撮影します。
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Dec.2020
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